今回は珍しく競プロの話題じゃないです。ただ、自分の趣味の音ゲーに、少し面白い気がした数学的・科学的(?)構造/考察を見出したのでちょっと雑記してみます。
1. きっかけ
チュウニズムの GAME IS LIFE(紫) のこの配置を初見でプレイして、ふと「この奥側の内側始動の交互、つまんないな」と思ったのです。
冷静に俯瞰すると非常に簡単かつ単純な配置なのですが、知らずにこれを見ると左手でTAPを連続して取ることになるのが正攻法となることもあり、ハイスピ11.0、視点は画面中央のあたりで右利きの自分だと交互の1打目を右で取って詰んでしまいやすいのです。
その場限りの対応をするのならば、譜面暗記をして対応すればいいだけの話で、実際自分もそうしたのですが、やっぱり他の譜面でも、なんならチュウニズムに限った話じゃなくて他のいろんな音ゲーでも「内側始動の交互ってつまんないな」という感想が一般論として思い当たったわけです。
その時、僕に電流が走ったわけです。「自分が感じたつまらなさは科学的な説明をつけることができそうだ」と。
この記事ではそれを解き明かしていきます。
2. ノーツに情報量を導入してみる
まず、非常に非自明な仮説を示します。
全く同じ形状の1組のノーツでも、置かれている場所によって情報量が違う
いやいや、1組のノーツはどれも1組の判定としての情報しかないだろ、たとえ違いがあってもそれは情報の質や種類であって量は違わないだろという反対意見が思い浮かびますね。
この仮説をちょっと数学的に説明してみましょう。
とりあえず、数学の文脈での「一番有名な情報量の定義」は以下です。
事象 $E$ が生じる確率が $P(E)$ であるとき、 $E$ が生じたことを知った情報量は $- \log P(E)$ であると定義する。
数学をしたくない方に向けて噛み砕いて言うと、「起こりにくいことが起こった場合、そこの情報量が大きくなる」ということを意味します。
ここで、チュウニズム、プロセカ、Deemo、DanceRailなどのある固定された一直線上のどこかにノーツが任意の幅で降ってくる音ゲーを少し考察します。
直感的には、端っこにはノーツが降ってこないという感じがします。これを拡張すると、どこにどの程度の確率でノーツが来るかのグラフを描くことができます。(本当は譜面の統計を取るのが望ましいですが)
それを描いたものがこちらになります。
さらに、ざっくりと以下が言えます。
同じ幅のノーツであれば、ある場所に降ってくる確率の比は、面積比に(おおよそ)対応する。
(常識的な)選択肢がいくつか決まっていれば、その中で特定の幅のノーツだけが特定の場所に降ってきている…というのは恐らく考えにくいです。
とすると、端っこと中央付近で同じサイズの長方形を書き込むと
このように、赤線より下の部分の面積に着目することにより、「端っこのノーツの方が発生確率は低い」という結論を得ることができます。
ここで、先ほどの情報量の定義を思い出してください。すると、この定義上では「端っこのノーツの方が情報量は多く、真ん中のノーツには情報量が少ない」という結論に至ることが分かります。
基本的には最初のノーツの情報量が少ないことが難しさ/つまらなさに繋がるのですが、ここからは次節に移ります。
3. なぜ中央始動の交互が難しい/つまらないか?
まず、中央始動を見た音ゲーマーが何を感じるかというと、「とりあえず近い手/利き手で取っておこう」なのです。これは、前節で話した情報量の視点から話をすると、最初のノーツに乗っている情報量が少ないがゆえに、正しい始動の手がどちらか決まりきらなかったことの結果であることに注意してください。
ここで何が起こっているか、もう少し実験の解析のような感じで掘り下げていきましょう。
大前提ですが、多くの音ゲーマーは恐らく、ノーツが流れていく中である高さを視点をして固定し、ファクシミリのように譜面を読んでいます。このことは前提にさせてください。
全てをこの図に押し込んだのですが、まず、真ん中に始動のノーツが飛んでくると、とりあえずどちらかの手を構えます。
その次の瞬間、次のノーツが目に入り、ここで初めてどちらの手が正解かの情報が確定します。この時点で1/2の確率のハズレを引いていた場合、体の姿勢を大きく変えることになりパニックに陥ります。さらに、この時点で始点までの残り時間はプレイヤーの視点の位置に対して短いのです。
そこで、苦し紛れのプレイヤーが取れる手段は非常に無力で、
・無理に姿勢を立て直して間に合わなくなり失敗する
・無理に片手だけでもぐらたたきをしようとして追いつかず失敗する
さらに、これを回避する方法は「あらかじめ情報量を増やす」、すなわちそこの譜面を暗記しておくということしかないのです。
初見に限定した考えられるプレイヤー視点の感想だと
・1/2の確率のハズレを引いた、つまんね~~~
・認識バグって詰んだ、つまんね~~~
・覚えないとしょうがないな、難しい~~~
といったところでしょうか。
(この3つの感想以外にも何か上がってくるかもしれませんがとりあえずこの3つに話を絞ったとしても、)音ゲーについてガチャゲーももぐらたたきも記憶ゲーもしたくない方にとって、この要素はつまらなさです。逆に、これを楽しめる方にとってはこの要素は難しさになります。これを各人がどちらに感じるかは、この手法では語りえぬことです。しかし、生産されたものの結果からある程度どちらに軍配が上がったかを推察することならできます。
出てきたものの結果としては、恐らくは中央始動はそんな多くは見かけないと思います(反例となる機種かなんかがあれば教えてください)。先述した要素3つ全部が嫌じゃなくても、1つくらいがある程度の不快要素なりやらせたくない要素に感じる…という方がノーツデザイナー(内に?視点で?)けっこういるので、中央始動はプレイヤーにやらせたい時が一定数あるとはいえあまり汎用的には使われない、つまり、(原因は「つまらないと感じた」「テストプレイして出来なかった」「押しにくさ、違和感として現れた」などいろいろあるにせよ)なんとなくつまらない寄りであると判断されているのでしょう。自分も譜面を書いてる時も客側としても不快に感じる側の1人です。恐らく。
もちろん、この不快感を回避する方法として、「前の譜面の文脈によって、情報を足す」、言葉を変えると前の譜面からつながりで考えると始動を見た瞬間に動かすべき手が確定するという譜面にしてやれば、この問題は生じません。ただし、今回は始動の話なのでこの方法で回避するのは相当難しいのではないでしょうか。(前の譜面の文脈の情報が入ってこないものとすれば、これは不可能であるという仮定を置くこともできます)
ノーツデザイナー側が、この不快感を排したいと感じたならば、逆の行為をする、すなわち最初から情報量の高い「端始動」を選択する機会が増えてくるのです。なので、交互押しは端っこを始動にすることが多くなってプレイヤーの前に現れてくる、ということに帰結されるのです。
4. まとめ
と、こんなところでしょうか。こんな感じで音ゲーの楽しさや楽しくなさなどを、可能な限り主観を排する努力をして解析するというのは面白い取り組みで、理系学問として面白い構造をしていそうだなと思いませんか?思いませんか、そう…